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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和59年(う)107号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八年に処する。

原審における未決勾留日数中四二〇日を右刑に算入する。

押収してある折損した栓抜きの金属片一片及び中古包丁一本をいずれも没収する。

原審における訴訟費用中、その五分の四を被告人の負担とする。

昭和五八年六月二九日付起訴状記載の各公訴事実につき、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鳥毛美範名義の控訴趣意書(なお、弁護人は、同趣意書中第二及び第三の点は審理不尽と証拠の取捨選択を誤った結果、事実を誤認したものである旨の主張であると釈明)及び同補充書並びに被告人名義の控訴趣意書及び上申書(三通)に、これに対する答弁は、検察官古橋鈞名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

弁護人及び被告人の各控訴趣意の論旨は、いずれも原判示第四の事実についての事実誤認を主張するものであって、要するに、原判決は、被告人に対して、昭和五八年五月一七日午前三時二〇分ころ、甲野一郎方に侵入したうえ、甲野春子(以下「春子」という。)所有の現金約一万三〇〇〇円を窃取し、さらに甲野夏子(以下「夏子」という。)に対し、強姦未遂及び強制わいせつ致傷の所為に及んだ旨認定したが、被告人と右各犯行を結びつける唯一の証拠である被告人の捜査官に対する各供述調書及び自白撤回前の原審公判廷における供述(以下これらを「被告人の自白」と総称する。)は、変転、動揺が著しく、客観的証拠と矛盾し、不自然、不合理な点を含み、犯人なら容易に説明することができ、しかも当然に言及するであろう事項が欠けており、被害者の供述とも一致せず、したがって、とうていこれに信を措きがたく、また、被害者らの供述や現場の痕跡等からみて、他に真犯人が存在する蓋然性が大であり、いずれの点からみても被告人は無罪であるか、少くとも被告人を有罪とするには合理的な疑いが存することが明らかであるから、原判決は、審理不尽ないし証拠の取捨選択を誤った結果、事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決は、以下の理由により破棄を免れない。

一  原審記録によると、被告人は、原判示第四の各事実(以下、本件という。)について、取調段階でいずれもこれを認め、数通の検察官及び司法警察員に対する供述調書が作成されて、これらがいずれも同意書面として原審第一回公判において取り調べられ、また、被告人は原審公判においても、右各事実を認める供述をしていたこと、ところが被告人は、原審第七回公判において、これまでの自白を翻し、以後、当審に至るまで、自己の犯行ではない旨供述(以下「自白撤回後の供述」という。)するに至った。そして、被告人の述べるところによると、被告人が取調段階で自白したのは、その当時、捜査官から別件の富山や名古屋(原判示第一ないし第三の犯行)の事件の捜査を匂わされ、本件の取調が遷延すれば、隠し通したいと思っていた富山、名古屋の事件にも捜査が及んでしまうことをおそれ、本件は、これらの事件と比べて大したことはないと考えるとともに、体調が悪かったこともあって、早期に自白し、直ちに拘置所へ移監してもらいたかったからであり、原審でも、刑事が公判傍聴に来ているし、今更否認するより、このまま務めに行こうと思ってそのまま事実を認めた、というものであり、また、自白を撤回したのは、原審の公判審理中、被告人が遺産の配分を受けることとなり、これをもって被害の弁償に充てようとしたところ、過去にも窃盗事件で、自己の犯行ではない分も認めて服役したことがあったが、そのことで何も得することはなかったし、今回の件は窃盗事件だけではなく、しかも自己の責任でもない被害の弁償までしたうえ、服役するのはお人好しにも程があり、いかにも馬鹿らしいと思ったから、というのである。

二  ところで、被告人が、右のように、一旦は自白したうえ公判廷においてもそれを維持したが、その後その自白を撤回するに至ったそれぞれの理由について述べるところは、いずれもそれなりに一応筋が通っているとみることもできないわけではないのであって、そのこと自体が不自然、不合理であるときめつけて、これらを一蹴し去ってしまうことなく、自白撤回後の供述の内容とその信用性等につき慎重な検討を加える必要があるものと思われる。

三  まず、被告人が自白撤回後公判廷において本件当時の被告人の行動等について供述するところをみてみると、その内容は、要旨次のとおりである。すなわち、本件前日である昭和五八年五月一五日午後九時半ころ、顔見知りの女性が経営する店を探して金沢市野町界隈を歩いたが見付からなかったため、同町内の焼肉屋「とん助」で三〇分位飲食して同所を午前零時前には出て、付近の建築中の家屋で酔いを覚ますため四〇分位休み、その後盗みを働くため適当な家を探していたら、銭湯へ行くと思われる格好をした六〇歳台の女性一人と二、三〇歳台の男性二人と擦れ違った。最初は、甲野方隣家の乙山方へ侵入しようとしたが、家人が居る様子だったため、甲野方へ侵入することにし、施錠されていない同人方窓から屋内に入ったところ、二階から五〇歳台の女性が降りてきたので、慌てて外へ出て、二、三〇分間乙山方の軒下に潜み、再び同じ場所から甲野方へ侵入した。そして、風呂場で入浴しているらしい家人のほか、誰も見当たらなかったので、あたりを物色して台所へ行き、ここで家人に見付かったときに備えて包丁を手にし、次に台所への通路となっている居間の床に置かれたバックの中にあった財布を取って表玄関から一歩外へ出たが、そこで財布から現金一万二、三〇〇〇円を抜き取ったうえ、再び玄関から屋内に入って財布を元の所に戻し、右包丁は持ったまま表玄関から外に出た。次いで、隣家の丙川方へ赴き、屋内の様子を窺い、家人が消灯するのを待って、同人方裏庭へ通じるドアから屋内に侵入するため、前記包丁でドアのガラスを割ろうとしたが、音がして割れなかったので、一階居間の大戸の上の無施錠の小窓から、傍に置かれていた鉄製脚立を使って屋内に侵入したうえ、屋内を物色し整理だんすの前にあった白っぽい靴下を取って自分の靴の上に覆せ、次の間の小棚の取っ手に掛けてあった布製バックの中の財布から現金五、六〇〇〇円を盗んだのち、大戸の内錠を外して屋外に出たうえ、右脚立を使い、小窓から上半身を屋内に入れて大戸の内錠を掛けてから、同所を離れた。それから、甲野方の電気がついていたので、自己の犯行が発覚しているのではないかと思い、同人方南側物置のビニール製波板に前記包丁の先端で穴を開け、その内部を覗こうとしたが、内部の様子が見えず、家人も騒いでいる風でもなかったので、侵入経路を引き返して、甲野方の門から道路へ出た。前記包丁は、途中側溝へ捨てたが、このとき包丁を側溝に突込んで包丁の刃の部分から柄の部分を折ろうとしたので、包丁の柄の付近が曲った。その後金沢市増泉のスナック「葵」へ寄り、次いで同市片町のサウナ「オーロラ」へ入ってここで泊った。翌一六日は、午前九時ころ右「オーロラ」を出て、金沢駅前の家族風呂「田丸」で午後六時ころまで過ごし、続いて付近のスナックに三時間位いて、午後九時ころから金沢駅前のパチンコ店で閉店まで遊び、近くの焼肉店で食事をしたころ雨が降ってきたので、同店から二〇メートル位離れた塗装店の一階に駐車してあった自動車の中で翌一七日午前四時ころまで寝て、片町へ行こうと思って同所を出たところ、雨が降ってきたので、聖霊病院で雨宿りをし、その後片町の「ダイワサウナ」へ行った、というのである。

四  そこで、被告人の自白撤回後の前記供述の信用性について検討を加えると、被告人が昭和五八年五月一五日から同月一七日までの行動として供述するところは、その間の被告人の行動を逐次説明した詳細、かつ具体的なものであって、その内容自体からみて、格別その信用性を否定するような不自然不合理な点は見当たらないうえ、被告人がその間に立ち寄ったという焼肉屋、スナック、サウナ、塗装店、病院等も実在するものと認められ、また、甲野方へ侵入する直前ころ、銭湯へ行く途中の男性二名と女性一名に出会ったことは、すでに捜査段階でも供述しているところであって(被告人の司法警察員に対する同年六月一五日付供述調書)、被告人が出会った場所からみて、右の者らが赴いていた銭湯は、金沢市野町五丁目所在の「野町湯」であるとみて差し支えなく(司法警察員作成の同月三〇日付検証調書添付の現場付近見取図)、そうだとすれば、右「野町湯」は当時も毎週月曜日が定休日というのであるから(丁原松子作成の証明書)、被告人が月曜日にあたる同年五月一六日に銭湯客と出会うことは考えられず、したがって、この点もその前日である一五日夜という被告人の供述を裏付けるものということができる。しかも、さらに注目されるのは、被告人が同月一五日夜半から翌一六日未明の間に、甲野方で金銭を盗んだのち、引き続いて丙川方へ侵入して金銭を窃取した旨供述するところは、これにほぼ沿う客観的状況が存することである。すなわち、当審証人丙川一子の供述によれば「いつも居間の小棚の所に財布の入った買物かごを掛けておくが、その次の日である五月一六日の朝買物に行こうとしたら、その財布にあったはずの現金七、八〇〇〇円がなくなっていることに気付いた」というのであって、同年五月一五日夜半から翌一六日未明にかけて丙川方で現金が亡失したことが推認されること、右丙川証言及び当審における同証人に対する受命裁判官の尋問調書並びに受命裁判官の検証調書によると、被告人が丙川方への侵入経路、方法及び同人方の室内状況等につき供述し、また図示(被告人作成の昭和六〇年四月三〇日付上申書添付の図面参照)するところと実際の丙川方家屋の状況等がよく符合していること、右検証調書によると、被告人が丙川方へ侵入するため、戸のガラス部分に傷付けたとして図示(被告人の右上申書添付の図面)する箇所に傷が存し、また、甲野方物置のビニール製波板の三か所に傷を付けたと供述する場所(とくに、被告人が右上申書添付の図面において図示する箇所と大差ない箇所)に三箇の傷が存すること(この点は、ひいては丙川方の件に先立って、甲野方への侵入盗に関する供述をも裏付けるものといいうる。)等の事情に徴すれば、被告人の丙川方への住居侵入と窃盗についての供述がほぼ確実に裏付けられているということができる。以上のように、被告人の供述中に、確実といってもよい裏付けを伴う部分が存するということは、検察官も指摘するとおり、このことのみによって被告人が五月一六日夜甲野方において本件犯行に及んだことまで排斥し、否定しうるものとはいえないけれども、丙川方への住居侵入等の所為と甲野方における被告人の行動が被告人の昭和五八年五月一五日から同月一七日までの一連の行動として、事実上密接に結びついているものとみることができるから、被告人の供述の信用性を補強する有力な事情の一つとしての価値を失うものではない。

もっとも、春子の司法警察員に対する同年六月一四日付供述調書中には、自宅居間に置いていたバック内の財布には、同女が同年五月一六日午後六時四五分ころ帰宅してその中を見た時は、一万三〇〇〇円位の現金が入っていた旨の記載があり、また、春子の検察官に対する同年六月一六日付供述調書及び司法警察員に対する告訴調書中には、なくなった牛刀(これが、甲野方で被告人が盗み、遺棄したものであることについては、疑いがない。)につき、同年五月一六日夜、他の包丁を使用して台所の包丁差しに収めた際には、間違いなくあった旨の記載があるので、検討しておくと、まず、春子が同日財布の中を確認した理由として述べるところは、降雨の中を帰宅してバックなどが濡れていたため、バックを開き、財布も開けて見たところ、一万円札一枚と千円札三枚が入っていたというのであるが、バックが濡れたことから、その中に入れていた財布の中まで確認しなければならない必然性はないし、同女の前記告訴調書中には、財布の中には一万円札一枚しか入れていなかった旨の記載があるうえ、同女の前記検察官に対する供述調書によると、一万三〇〇〇円が在中していたことの説明として、右の点が欠落していること、また、証人春子の当公判廷における供述では、帰宅後バックが雨で濡れていたが、バックは開けていないと思うし、財布の中を見たことはない旨述べているのであって、これらの点からみて、同女が前記日時に財布の中を確認した旨の供述は、にわかに措信しがたく、また、包丁の点についても同女が本件牛刀を使用する頻度は多いものではなく同年五月一六日も使用していないものであり、しかも、右牛刀がなくなっていることに気付いたのは、同月一七日朝警察官に尋ねられて確認した結果判ったというのであって(以上、同女の前記告訴調書及び前記当審証言)、その存在を日頃から常に意識していたとはいいがたく、加えて、同女が、右牛刀が同月一六日夜まであったという根拠として、当審で供述するところは、「調理の仕事をしている関係上、包丁だけは大事にして、きちんと順番に片付ける癖がついているので、あったことに間違いないと思う」「毎日包丁を確認するということはないが、包丁差しから抜けていれば、そこは穴が空いたようになっているからわかると思う」などというのであって、確実な根拠に基づくものとはいいがたく、この点に関する同女の前記各供述調書中の記載にも疑問を容れる余地があり、右財布在中の現金や包丁が同年五月一六日夜まで甲野宅に存在していたと断定するにはいささか躊躇を禁じえず、結局、これらをもって、被告人の前記供述の信用性を覆すものとは認められない。

五  とりわけ、司法警察員作成の昭和五八年五月二五日付実況見分調書、春子の検察官に対する同年六月二四日付供述調書、証人夏子の当公判廷における供述等の証拠から明らかなとおり、同年五月一七日午前五時から同九時一五分までの間に実施された実況見分の際、甲野方浴室内の窓下の外壁部に突き出た排気口の上部に一か所、右浴室内の浴槽にしてあった蓋の上に二か所、浴室南隣の脱衣場から玄関へ通ずる床上に一か所、合計四か所に足跡が付けられていたことが発見されているのであるが、右の足跡は、甲野方家人のものでないことはもとより、被告人が付けたものでもないことが明らかであり(前記証人夏子及び同戊田一夫の当公判廷における供述等)、したがって、以上の足跡は、被告人以外の部外者が、浴室外壁の排気口を伝って、浴室窓から侵入し、脱衣場を通って屋内へ入ったことを有力に推認させるものであり、しかも、以上の足跡が付けられたのは、同月一六日夜半から翌一七日未明にかけてであった可能性が十分にあると認められる。すなわち、甲野方では、同月一六日(月曜日)夜は風呂を沸かしておらず(春子の前記告訴調書及び前記夏子証言)、また、風呂は、ほぼ一日置きに週三回位沸かし、毎週日曜日は沸かしていた(前記春子証言)というのであるから、同月一五日(日曜日)夜の入浴時点で、前記のように足跡が浴槽の蓋や脱衣場から玄関や居間に通ずる床上に存したのであれば、家人において容易にこれらの足跡に気付くであろうと認められるのに、同月一七日朝まで家人に気付かれなかったということは、足跡が付けられたのは、家人が同月一五日夜入浴した後の時点であると推認され、とくに、前記発見時点までに右床上に存する足跡に家人が気付いていないこと、前記足跡の濃さなどからみて、降雨の中を歩いた者(しかも、これらの足跡は長靴ないしブーツである可能性が高い。原審第八回公判における検察官の釈明参照)による足跡とみるのが自然であるところ、降雨がみられたのは、同月一六日夕方から翌一七日にかけてであると認められること(当審で新たに取調べた司法警察員作成の同年六月二九日付捜査報告書、金沢地方気象台作成の証明書)等からみて、同年五月一六日夜半から翌一七日未明にかけて付けられた可能性が高いと認められるのである。もっとも、夏子は、浴室の窓は、同月一六日午前七時四五分ころ、内鍵を掛けた旨供述しているが(同女の司法警察員に対する同月一八日付供述調書)他方では、前記夏子証言中には、同月一六日朝靴履きのまま、玄関を上って、風呂場の中には入ることなく、そこの窓が閉っているか見ただけであるという部分があり、前叙のとおり、前記足跡が印象された日時が同月一六日夜半から翌一七日未明にかけての疑いが十分に存することとも対比して考えると、同女が同月一六日の朝、浴室窓の内鍵をかけたと断定するには、疑問の余地があるといわざるをえない。

また、夏子は、犯人の人相、体格等に関し、犯人は年令五〇歳位で、身長一六五ないし一六八センチメートルのやせ型で、目は細く目付近に皺がたくさんある土方風の男であって、被告人であるとは断言できないとし(夏子の前記告訴調書及び前記司法警察員に対する供述調書)、春子は、犯人の身長は一七〇センチメートル前後のがっちりした体格の男で、同女の夫(身長一六五センチメートル位、体重五〇キログラム位)より大分大きく感じた旨述べている(前記春子証言及び同女の前記告訴調書)が、これらの特徴からして、その犯人を被告人であると認めることはとうていできないのみならず、被告人は身長約一六四センチメートル、体重約五一キログラム(被告人の原審供述)の、どちらかといえば小柄な体格であって、少なくとも土方風のがっちりした体格であって、目付近に皺が多くある人物とはいいがたいところであって、夏子や春子の供述する特徴からは、むしろ別の犯人像が推測されないではなく、また、犯人は、夏子によれば本件犯行時刃体の長さ二五センチメートル位の柄にタオル様のものを巻いたステンレス様の包丁を持ち(夏子の前記告訴調書)、頭は目から上を山吹色のタオルで、目から下を白色のタオルで覆面していた(夏子の検察官に対する同年六月一六日付供述調書及び同女の前記証言)といい、春子によれば、右手にキラッと光る包丁(異様に光る包丁だったので、ステンレス製の包丁だと思ったという。)を持ち、顔はプロレスラーが被るような目だけを出した、口の方と頭の方の色が違っている覆面をしていた(春子の前記告訴調書、検察官に対する同月一六日供述調書及び前記証言)というのであり、覆面の点については、被告人が自白する覆面の方法(すなわち、白系統のタオル一枚で鼻から下の部分と頭髪部分を覆うもので、目と額の部分は露出していたという。司法警察員作成の同月三〇日付検証調書添付の写真、被告人の検察官に対する同月二七日付供述調書)と異なることが明らかであり、包丁の点も、甲野方の包丁は、鋳造製の牛刀であって、たとえ頻繁にこれを研磨していた(前記春子証言、同女の検察官に対する前記供述調書)としても、その光沢とステンレス製包丁のそれとでは相当に異なるものであろうし、夏子や春子が認めた犯人所持の包丁は、本件牛刀とは別物である可能性が十分にある(同女らの供述調書中には、甲野方の牛刀に似ている旨の記載があるが、これは、同女らが本件直後に右牛刀がなくなっていることに気付いたことから、これが本件に使用されたものとの先入観となって、右のような供述となったともみられ、これをもって甲野方の牛刀と本件に使用された包丁が同一であるという資料とはなしがたい。)と考えられる。

以上掲記した諸事情は、本件犯行(ただし、住居侵入、窃盗の点を除く、以下同じ。)について、他に真犯人が存在する可能性を示唆するものであるといわなければならない。

六  以上のとおり、被告人の自白撤回後の供述は、これを自己の刑責を免れるための虚言であるとして排斥することには躊躇せざるをえないことに加え、本件犯行に関し、他に真犯人が存する可能性が否定できないことに徴すると、被告人の自白の信用性には、看過しがたい問題があるといわざるをえないこととなる。このような観点から被告人の自白を検討すると、所論も詳細に指摘し、記録によって認められるように、被告人の捜査段階での自白には、些細とはいえない内容について、たとえば、被告人が本件で使用した包丁の出所やこれを捨てた場所、甲野方にあった男物トレーニングズボンを被告人が手にした目的、これの用途等に関して、単なる記憶違いとしてだけでは説明できない供述の変遷がみられるし、甲野春子、同夏子の供述調書や証言とも、細部において、多くの食い違い(前記覆面の状態や包丁の外観をはじめとして弁護人の控訴趣意において指摘されている。)が認められるところであるが、これらの点は、それ自体から直ちに被告人の自白全体の証拠価値を損うものとはいえないものの、前説示のような被告人の自白の信用性に影響を及ぼす事情が存することと併せ考察していくと、右の諸点も被告人の自白の信用性の判断に当たっては軽視しえないところである。

結局、以上のようにみていくと、被告人の自白撤回後の供述は、これを一概に虚偽として排斥できない一方、被告人の自白の信用性には疑問の余地がないではなく、他に被告人と本件犯行を結びつける証拠は存しないことに帰し、また、原判示日時における住居侵入、窃盗の事実を認めるに足りる証拠は存しないから、原判決が被告人の自白の信用性を肯定するなどし、原判示第四の各事実について、被告人の有罪を認めたのは、証拠の価値判断を誤った結果、事実を誤認したものであって、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。そして、原判決は、原判示第四の各罪とその余の各罪とを併合罪として一個の懲役刑で処断しているのであるから、全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実第一ないし第三及び同第五の各事実に法令を適用すると、同第一の所為中住居侵入の点は刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、窃盗の点は刑法二三五条に、強姦致傷の点は同法一八一条(一七九条、一七七条前段)に、同第二の所為中住居侵入の点は同法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、強姦の点は刑法一七七条前段に、強盗の点は同法二三六条一項に、同第三の所為中住居侵入の点は同法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、強盗の点は刑法二三六条一項に、同第五の所為中住居侵入の点は同法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、窃盗未遂の点は刑法二四三条、二三五条に、それぞれ該当するところ、同第一の住居侵入と窃盗及び強姦致傷、同第二の住居侵入と強姦及び強盗、同第三の住居侵入と強盗並びに同第五の住居侵入と窃盗未遂との各間には、それぞれ手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により、同第一の罪については結局以上を一罪として最も重い強姦致傷罪の刑で、同第二の罪については結局以上を一罪として最も重い強盗罪の刑で、同第三の罪については一罪として重い強盗罪の刑で、同第五の罪については一罪として重い窃盗未遂罪の刑で、それぞれ処断することとし、同第一の罪につき所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には原判示「累犯前科」の欄記載のとおりの各前科があるので、同法五九条、五六条一項、五七条によりいずれも三犯の加重(ただし、同第一ないし第三の各罪については同法一四条の制限に従う。)をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い同第二の罪に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中四二〇日を右の刑に算入し、押収してある折損した栓抜きの金属片一片は同第五の窃盗未遂の用に、中古包丁一本は同第二の強姦及び強盗の用に、それぞれ供した物で、いずれも犯人である被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用していずれも没収し、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、その五分の四を被告人に負担させることとする。

なお、昭和五八年六月二九日付公訴事実の本位的訴因は

「被告人は、

第一  昭和五八年五月一七日午前三時二〇分ころ、金員窃取の目的で、金沢市野町《番地省略》甲野一郎方一階居間のサッシ戸を開けて、居宅内へ侵入し、同人の妻春子所有の現金約一万三、〇〇〇円を窃取し、

第二  同日午前三時二三分ころ、同所一階六畳間において、就寝中の甲野夏子(当一七年)を強姦しようと企て、目覚めた同女に対し、所携の包丁(刃体の長さ約二一センチメートル)を突きつけ、同女の背部に乗りかかった上、「静かにせんと殺すぞ。やらせろ。」と申し向けるなどの暴行・脅迫を加え、その反抗を抑圧して、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女が抵抗したためその目的を遂げず、その際、同女に加療約一〇日間を要する右第一指切創の傷害を負わせ

たものである。」

というのであり、同公訴事実第二の予備的訴因は

「 同日午前三時二三分ころ、同所一階六畳間において、就寝中の甲野夏子(当一七年)を強姦しようと企て、目覚めた同女に対し、所携の包丁(刃体の長さ約二一センチメートル)を突きつけ、同女の背部に乗りかかった上、「静かにせんと殺すぞ。やらせろ。」と申し向けるなどの暴行・脅迫を加え、その反抗を抑圧して、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女の年齢を聞いて憐憫の情を催し犯行を中止したためその目的を遂げず、引き続き、右暴行・脅迫により畏怖している同女に強いてわいせつの行為をしようと企て、前記の同女の背部に乗りかかった状態で、同女に対し、右包丁を突きつけるなどの暴行・脅迫を加え、強いて同女にわいせつの行為をしようとしたが、同女が抵抗したためその目的を遂げず、その際、同女に加療約一〇日間を要する右第一指切創の傷害を負わせたものである。」

というのであるが、前説示のとおり、いずれの訴因についても、被告人の犯行であると認めるに足りる証拠がなく、本件各公訴事実はいずれも犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法四〇四条、三三六条後段により被告人に対して無罪の言渡をする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉浦龍二郎 裁判官 三浦伊佐雄 松尾昭一)

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